クラブのあゆみ

社会生活を営む上で、大切なものは数多くありますが、何かしらの趣味を持つ事も大切な事の一つではないでしょうか。そうした中で同じ趣味を持つものが集い、お互いが切磋琢磨して技術の向上を図る事は勿論、親睦を深め合うことは、社会生活が多様化している中で、大変意義があるのではないかと考えます。
昭和52年夏、それまで数人の仲間が利根川の本城ドックで一艇のヨットでセーリングを楽しんでいましたが、三方水に囲まれた銚子で、海を通して様々な活動を行うことにより、海に親しみ、海で鍛えることを合い言葉に、人生を明るく豊かにすることとあわせ、地域社会にマリンスポーツを広げることを目的に、クラブ結成の気運が高まり、昭和52914日、銚子市川口町江戸ビルにおいて、十数名が参加して結成式並びに設立総会を開催し、シーユースクラブ銚子がこの世に誕生し、20年超の歴史と伝統を刻むべくそのスタートを切りました。
結成当時は自作のトレーラーで、毎週日曜日にヨットを運び利根川でセーリングを楽しむという状態でしたが、結成2年目に活動の場所を現在の名洗に変更しました。しかしながら、当初は漁船の方々に受けはよくなく、漁船が出入りするたびに、怒鳴られたり、叱られたりしておりましたが、海岸清掃や地域町内会への協力を地道に実施することにより徐々に理解を得られたというのが実態でありました。又レスキュー艇購入後は、名洗港の安全は自分達が守るんだとの自負のもと、シーズン中の海水浴客の救助やヨット以外のマリンスポーツの方の救助を行うなど、積極的に活動を取り進めました。
呼びかけ人は、初代会長砂村一男氏、平野泰男氏、井口功氏、佐藤博氏、宮沢宏男氏、大木武彦氏、田村行男氏、私の8名で、宮沢氏を除く7名が中学・高校時代に銚子海洋少年団のメンバーであり、学生時代のクラブ活動の一環として、カッター(端艇)訓練等に明け暮れていた部活仲間でした。又、宮沢氏は山男でしたが、知人に誘われ始めてヨットに乗り、山男変じて海男となったものです。




2003秋 ヨット教室・明神小学校の児童

そうした一方で、ヨットレース出場への気運も高まり、土曜日の夕方トラックにヨットを積み込み、翌日の江の島でのヨットレースに参加するなど、銚子のヨットマンここにありと、大いに誇示したのも、懐かしい思い出の一つであります。親睦活動も当初から活発で、年末・年始のスキーツアーは、バスをチャーターして方々に出かけ、打ち上げ会とあわせ参加者にとって、楽しみな行事の一つであったと思い出しております。